三浦春馬の死に母親が関係?笑顔が消えた王子に似た境遇の華原朋美

三浦春馬さんが突然旅立たれてから、心の整理がつかないまま時計の針が止まったかのような時間が過ぎていきます。

 

三浦春馬さんは『春馬』の名前の由来通り、天空を元気に駆け上がる駿馬のような10代・20代を全力で駆け抜けられましたよね。

 

わたしが三浦春馬さんの一報を聞いて一番に思い出したのが、X JAPANのHIDEさんの事件でした。

 

HIDEさんは肩こりがひどく偏頭痛まで引き起こすほどだったそうですが、首を牽引することで治していたと言います。

 

亡くなる当日は時差ボケな上に泥酔状態であり、そんな状態で牽引をしていたところはずみで・・・という事故だったのではという見解でした。

 

だから三浦春馬さんの一報もHIDEさんと同じように、肩こりからの牽引で・・・誤って・・・だと信じたかったのに、時間が経つに連れて徐々に事故ではないことの事実が明らかになってきました。

 

だから、とても苦しく寂しさを感じます。

 

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三浦春馬は母親と絶縁状態に?

三浦春馬さんの自室からは、遺書とも取れる大量のメモが見つかっています。

 

そこには、日付が記されていないものの永きに渡り、苦悩している様子が吐露されていました。

 

『死にたいと考えている』

『どう死ぬべきか』

 

自身の最期のあり方をみつめていた三浦春馬さん。

 

新事実を知って過去の映像を振り返ってみると、三浦春馬さんから笑顔が消えていることに気付かされます。

 

特に、ミュージックフェアに出演されている時の歌っている姿は、絶望に満ち溢れていて生気を全く感じません。

 

『歌うために出演している』というよりも『仕事だからここに立っているけど、痛みに耐えて口を動かしている』といった感じです。

 

一体なにが、三浦春馬さんから笑顔を奪い去ってしまったのでしょうか。

 

その背景にはどうやら、彼の母親の存在があったようなのです。

 

とある記事によると、三浦春馬さんの母親は金銭的にとてもルーズで、完全に息子の収入を頼りにしていたという状況だったようです。

 

三浦春馬の母親の金銭感覚 エピソード1

三浦春馬さんが小学生の頃、両親が離婚して親権は母親のほうが取得します。

 

そして春馬さんが中学生に上がる頃に、母親が通っていたホストクラブのオーナーと再婚されました。

 

小学生・中学生という義務教育を受ける立場にある子供を差し置いてホストクラブに通っている時点で、三浦春馬さんの母親は『息子ファースト』ではなかったことが想像できます。

 

そして、オーナーさんを落とせるほどの容姿の持ち主だったということ。

 

三浦春馬さんがまだ10代のときに出演していたトーク番組での発言から推測できるのは、再婚相手のオーナーは、母親よりも5歳年下であるということです。

 

ホストクラブのオーナーをされるくらいですから、イケメンでお金持ちだったのでしょうね。

 

三浦春馬の母親の金銭感覚 エピソード2

三浦春馬さんの母親は、春馬さんが小さい頃からハーブティーの販売を熱心にされていたそうですが、どうやらマルチ商法のような手法だったそうです。

 

三浦春馬の知名度が上がってくると「春馬も飲んでいます」を謳い文句に、友人に売りまくっていたそうです。

 

「あの爽やかイケメン王子・春馬くんが飲んでいるんだったら・・・」って思ってしまうし、母親が自信たっぷりに押してくるんだったら、つい買ってしまうかもしれません。

 

でもこれって在庫を処分するために、三浦春馬さんの名前が利用されているってことになりますよね。

 

自分の売上のために息子の名前を使う時点でも、三浦春馬さんの母親は『自分ファースト』だったと思われます。

 

三浦春馬の母親の金銭感覚 エピソード3

三浦春馬さんは20歳頃、芸能界からの引退を考えていました。

 

当時はセリフを覚えることに苦労し、追い詰めたれていたそうです。

 

「土浦に戻って農業をやりたい」

「町工場でも何でもいいから人目につかないところで普通に生きたい」

 

そんなふうに相談したのが母親だったのですが、彼女は春馬さんに「この家はどうなるのよ」と、こんこんと説得したといいます。

 

強く説得され、三浦春馬さんは引退を踏みとどまったというエピソードは有名です。

 

実は、芸能界引退を考えたのは一度ではなかったそうですが、そのたびには母親から猛反対されていたのだそうです。

 

可愛い息子が芸能界に対して後ろ向きであれば、母親として出来ることは『引き止めること』ではなく『応援すること』だったのではないでしょうか。

 

特に三浦春馬さんは非常に真面目な性格だったので、芸能界を引退した後にどんな仕事についたとしても、真摯に取り組まれていたと思います。

 

「この家はどうなるの」

 

この言葉を母親が本当に放ったのであれば、この時点で三浦春馬さんを息子として見ているのではなく、あぶく銭を生み出す装置と思っていたのではないかと疑ってしまいます。

 

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三浦春馬の母親の金銭感覚 エピソード4

また、三浦春馬さん一家を知る地元の人は母親を、「田舎の素朴な奥さんという風情だったのに、2011年頃から会う度に着るモノも変わり、仕立ての良い服を着るようになった」と証言しています。

 

三浦春馬さんは芸能活動で得たお金を、母親に仕送りしていたといいます。

 

3年ほど前に再婚相手との離婚が成立してからは、三浦春馬さんのマンションで暮らすようになった母親。

 

なんと、春馬さんのお金に対して無心していたそうです。

 

三浦春馬さん自身は自分の着るものにはほとんどお金をかけず、スポンサーさんから頂いたものを大切に愛用してともいわれている中、やめたいと思っている芸能界で稼いだお金を右から左に使われたら、いくら母親とはいえ嫌気がさすに違いありません。

 

 

こうしてみると、三浦春馬さんの母親は『親』にはなりきれず、『女』であり続けたと言ってもいいのではないでしょうか。

 

三浦春馬は生きることに苦痛を感じていた

『死にたいと思っていることを悟られないために、嘘の笑顔をつくることが苦痛』

『僕の人間性を全否定するような出来事があり、たちまちうつ状態に陥った』

 

三浦春馬さんは2年ほど前にイギリスへ、2ヶ月間の短期留学をしています。

 

語学学校へ行き、帰宅後は宿題に歌のレッスンやボイストレーニング、休みの日には舞台鑑賞や美術鑑賞などをして有意義にすごしたと、当時の取材で語っていました。

 

また帰国後も、忙しい撮影・舞台稽古の合間を縫って、英語のオンライン授業を受けていたことも明らかになっています。

 

三浦春馬さんはブロードウェイを目指していたので、ジャパニーズ・イングリッシュではなく本格的な英語を身につけたいという前向きな姿勢がヒシヒシと伝わってきます。

 

しかしこの前後で、三浦春馬さんが自分の終わりを考えるキッカケとなった事件が起きていることには間違いはないのです。

 

それが仕事関係だったのか、家族関係だったのか、プライベートの何かだったのか、今となっては正解を知る由もありません。

 

ただ、20代後半の若者が一人で抱えるには、あまりにもドス黒く重たいものだったことだけは理解できます。

 

2~3年前というと母親が離婚し、三浦春馬さんの収入を湯水の如く使っていたと考えられる時期とも重なります。

 

お酒の量が半端なく増えて、泥酔状態になっていたのもこの頃からだと言います。

 

そんな状況で、朝を迎えると偽りの笑顔を貼り付けて、共演者やスタッフたちを欺く日々が続いていたことになります。

 

笑える状況でないときほど、絞り出す笑顔ほど辛いものはありません。

 

拷問のような時間を過ごして帰宅して、シンと静まり返った空間に包まれたとき、三浦春馬さんが密かに死と向き合っていたのかと思うと、あまりにも切なすぎます。

 

三浦春馬から笑顔が消えた

10代から20代前半、様々なトーク番組に出演されていた三浦春馬さんには、自然な笑顔に満ち溢れていました。

 

自信さえも感じられます。

 

共演者や司会の人が喋っていることにもしっかりと耳を傾け、正常な反応を見せていました。

 

しかしとりわけこの1年くらいは、笑っているけど集中力がところどころ切れて、心ここにあらずといった雰囲気です。

 

気持ちが遠くにあるのに、やっぱり周りには気を使って神経を張り巡らせて、本気で死を望んでいるわけじゃないけど『生きるのがツライ』というのが、在々と表れていました。

 

作り物の笑顔も、ほころびてしまっていました。

 

もしこの時点で、三浦春馬さんの異変に気付ける人が一人でもいたら・・・。

 

三浦春馬に手を差し伸べる人物が現れていたら

以前、大恋愛の末に失恋を経験し事件を起こした歌姫がいました。

 

華原朋美さんです。

 

当時お付き合いをしていた小室哲哉さんと突然連絡が取れなくなり、不安や恐怖から様々な事件を起こし世間を騒がせました。

 

その後元気いっぱいの姿で芸能界復帰会見を開いたのですが、この時の彼女からは以前のようなパワーは感じられることはなく、完全に心が壊れてしまっているように写りました。

 

彼女は後日談として、当時をこのように語っています。

 

「お休みしたほうがいいくらい、とことん落ちる」

「20代で闇を知ったので、嫌なことがあるとその闇の世界に行こうとしてしまう」

「復帰をしてもまた、闇に戻ってしまうのではないかという恐怖がある」

「世の中から消えたいと思った」

 

三浦春馬さんと華原朋美さんの決定的な違いは、平常心を装って周囲に心の中を悟られないように振る舞ったことと、助けてくれる家族の存在の有無・・・だったのではないでしょうか。

 

三浦春馬さんは誰にも打ち明けることなく、悩みを独りで抱え込んでいました。

 

華原朋美さんには、傷ついた心を癒やしてくれる家族がありました。

 

もしも三浦春馬さんにも支えてくれる存在があったなら、そして悩みを打ち明ける勇気がほんの少しでもあったなら、いのちを落とす必要はなかったのかもしれません。

 

三浦春馬の死に母親が関係?笑顔が消えた王子に似た境遇の華原朋美のまとめ

三浦春馬さんのご家庭は複雑だったようです。

 

今回ご紹介したことが、三浦春馬さんを決断させたものかもしれないですし、これ以外のことが影響していたのかもしれません。

 

今となっては誰にもわからないことです。

 

でも、あのはち切れんばかりのきれいな笑顔が消えた事実に変わりはありません。

 

何気ない言葉だったりSNSへの心無い投稿だったりで、他人を簡単に傷つけることが出来てしまいます。

 

たとえ親子だとしても、自分の欲望を押し付けるようなことをやってはいけません。

 

子供は親の奴隷でありません。

 

子供にも人格があります。

 

しかし逆も然りです。

 

子供だからといって「親だからやってくれて当然」という考えも身勝手な発言です。

 

『親しき中にも礼儀あり』です。

 

これ以上、痛ましい事件が起きないことを、切に願います。

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