
主人公・石原明子を演じる片平なぎささん主演のドラマといえば、山村美紗原作の赤い霊柩車シリーズですね。
ドラマ冒頭のタイトルシーンで、真っ赤に染め上げられた霊柩車が悠然と走行する風景が映し出されます。
赤い霊柩車・・・。
喪に服すという意味でも黒が主流である霊柩車のボディが、目が覚めるような鮮やかな朱色となると、二度見しないわけにはいきません。
血塗られた霊柩車を印象づけ、ちょっぴり恐怖を感じますが「あの車両って本物かなぁ」なんて思ったことありませんか?
本当に存在するなら、あの霊柩車で移送されてみたいと思った人も少なからずいると思います。
私も、そんなふうに考えた一人ではありますが・・・。
結論。
実はあの霊柩車、撮影用として準備したものではなく、ちゃんと本物のご遺体を火葬場まで移送する本物の霊柩車だったのです。
そこで今回は、赤い霊柩車についてまとめました。
どこにあるの?
今も運用されているの?
宮型霊柩車が減少している、本当の理由などについてもまとめました。
赤い霊柩車が実在するって本当?
赤い霊柩車は、実在します。
所有されているのはオークス株式会社で、富山県・石川県を中心に冠婚葬祭の事業を広く手厚くてがけている企業です。
赤い霊柩車は、30ものセレモニーホールを展開する葬祭部門で、実際に運用されていました。
黒に慣れ親しんでいる人にとって、黒以外の霊柩車は受け入れがたいところではありますが・・・、富山市民の間では至極当たり前のことと言います。
むしろ「赤い霊柩車でなければならん!」というところまで浸透していたそうですよ。
最近こそ真っ白な霊柩車を見かけるようになりましたが、やはり、悲しみを表現するならば黒の霊柩車が普通だと思ってしまいますよね。
赤い霊柩車の誕生秘話
富山市で赤い霊柩車は珍しくないそうですが、一体どのような経緯で誕生したのでしょうか。
1992年に祥伝社さんより出版された単行本『The・霊柩車』によると、このように紹介されていました。
時は1978年頃。
中古の霊柩車を購入したオークスさんは、それのボディを赤く塗り替えたのだそうです。
これが、赤い霊柩車の誕生であり始まりだったと記載されていました。
新車から造ったのではなく、中古車を購入後に赤に塗装し直しただけだなんて、意外な答えでしたね。
とはいうものの、富山市では「赤い霊柩車でなければだめだ」というまでに浸透していたのですから、戦略的には大成功だったと言えるのではないでしょうか。
しかしなぜ?霊柩車を赤にしようと思ったのでしょうかね。
それは。
昔の日本はと言うと、ご遺体を『輿(こし)』に乗せて移送していたのですが、その名残ではないかと言われています。
人は亡くなると神様や仏様と同じような位になると考えられていましたので、ご遺体を輿に乗せ、おみこしのように人が担いで大切に移送していました。
その輿の色が、赤がくすんだような色の緋色だったというわけです。
そう言われて赤い霊柩車をみると、鮮やかな赤というよりは、鳥居などに使われているオレンジ色に近い赤であることが確認できますよね。
現在ではその役割を終え、赤い霊柩車は大切に保管されているということですよ。
赤い霊柩車は劇中でも登場している
赤い霊柩車シリーズの冒頭のみでしかその姿を見たことがありませんが、実は物語の中でも登場した回が1度だけあったといいます。
まだ赤い霊柩車シリーズの初期の頃の話です。
石原葬儀社に葬儀の依頼をした人によると、「故人は生前から、自分が亡くなったときは赤い霊柩車で運んでほしいと言っていた」そうで、その思いを叶えてあげたいという内容でした。
この依頼を請け負った石原葬儀社は、一級葬祭ディレクターの秋山と事務の良恵が、全国のありとあらゆる葬儀社に電話で問い合わせをして、赤い霊柩車を探しまわったのです。
無事に赤い霊柩車が見つかり、その故人の思いは成就されたのでした。
それにしても、見れば見るほど惚れ惚れしてしまう赤い霊柩車・・・、ため息が出ます。
願わくば私も、この霊柩車に乗って黄泉の国へ旅立ちたいものです。
宮型霊柩車は減少傾向に!
赤い霊柩車もそうですが、一昔前までは当たり前のように目にしていた霊柩車というのが、宮型というキラキラ金色のお宮を乗せた車両です。
私自身も小学生や中学生の頃にはよく見かけていて、霊柩車が見える範囲では親指をグーで握り、両親が連れて行かれないように隠していた記憶があります。
しかし最近では、宮型の霊柩車を見ることがなくなりましたよね。
数年前まで葬儀社で働いていたのですが、使用している霊柩車は全て洋型でなんの飾りもない簡素なリムジンしか所有していませんでした。
理由を聞いても明確な答えはもらえなくて「今はこれよ」の一言でしたね。
今回、赤い霊柩車の記事を書くにあたり、宮型霊柩車が減少している理由も調べてみました。
宮型霊柩車が減った理由
様々な記事を検索した結果、次のような理由が見つかりましたのでご紹介します。
・見るからに死者を運ぶ車両なので、周囲から嫌われる
・火葬場の規制により受け入れてもらえない
・平成21年以降の車両は保安基準を満たさないため登録できない
・お宮の維持・管理が難しい
確かに、霊柩車って「いかにも死者を運んでいます」って雰囲気が出ていますよね。
今は自宅で葬儀をあげることが減り、斎場で執り行われるため火葬場までのルートが決まってしまいます。
そうすると、葬儀の時間もだいたい決まっているため、そのルートに住んでいる住人からしてみると「ああ、またか」というふうに気が滅入るのだそうです。
それは・・・、わかる気がします。
私が葬儀社に勤務していたとき、斎場のシャッターを上げるガラガラガラ・・・という音だけでも「その音がストレスになる」と、クレームが入ったくらいですから。
維持が大変という点でも、お宮の部分は凹凸していたり雨にさらされたりするとなると、ずっと美しく保っているのが難しいのかもしれませんよね。
しかも、火葬場の規制や車両登録ができないとなると、豪華絢爛の霊柩車が姿を消していくのも無理はありません。
・・・としつつ、宮型霊柩車が減少している理由の答えとしては、100点ではないんです。
宮型霊柩車が姿を消した本当の理由
全国霊柩自動車協会によると、全国に現存する霊柩車は約5,000台で、その内80%が洋型やバン型が占めていると言います。
全盛期では約2,150台もあった宮型霊柩車の数は、今や約600台しかないのだそうです。
宮型霊柩車が減少していく背景で、火葬場の規約として『宮型霊柩車の乗り入れ禁止』が実際にできたのは事実です。
しかし、その規約ができたのは、住民からの宮型霊柩車反対運動があったから・・・ではないんです。
火葬場の建て替えや新設をする段階で、自治体と住民との間でもめたというのが正しい答えなのです。
やっぱり、ご遺体を移送してきて焼くという施設が、自分の家の近所にできるのって正直気持ちのいいものではありませんよね。
でも自治体としては火葬場を建てなければならない・・・どうしたものか・・・で、目をつけられたのが宮型霊柩車でした。
「だったら、葬儀をしているようにわからないようにします」「宮型霊柩車を走らせないので火葬場を建てさせてください」と、自治体側から申し出たんですって。
なので『宮型霊柩車反対運動』があって減少したのではなく、『火葬場の新設の反対運動』を鎮めるために犠牲になったというのが真実だったのです。
しかしながら、それってどうなんでしょうね。
故人は、神様や仏様と同等になられたという考えのもと、キレイに飾られた輿に乗せて移送していたわけです。
それを戦後、車に輿を乗せたという時代背景があって宮型霊柩車が誕生したのですが・・・。
先人が故人にたいして抱いていた大切な部分を、火葬場を建てるクレームの代償でなくしてしまうなんて。
赤い霊柩車には乗れないにしても、極楽浄土を模したともされる宮型霊柩車に乗れなくなるなんて、愛想も小想ありゃしません。
宮型霊柩車は日本ならではの文化なのに、非常にもったいないことですよ。
今一度、宮型霊柩車の存続の危機について、考え直すべきではないでしょうか。
赤い霊柩車は実在する!誕生秘話や霊柩車がシンプルになったわけとはのまとめ
片平なぎささんが主演されている『赤い霊柩車』シリーズをみていて、単純に「赤い霊柩車ってあるのか?」という疑問を解消するためにまとめました。
赤い霊柩車はあります。
富山県と石川県で地域に密着する冠婚葬祭業者『オークス株式会社』が所有していました。
しかしながら現在は現役を引退している様子で、大切に保管されているという情報でした。
富山県以外では、北海道は釧路市にも存在していたそうですよ。
宮型霊柩車は今や、絶滅の危機に立たされています。
宮型霊柩車は尊い車両です。
確かに、他人のご遺体を何体も運んでいると思うと気が滅入るかもしれません。
しかし、自分の身に置き換えて考えてみてください。
必ず亡くなり、必ず霊柩車のお世話になります。
遺された遺族が、故人が極楽浄土へ出立するのに、盛大に送り出してあげたいと思うことはいけないことなのでしょうか。
私は以前のように、お宮を乗せた霊柩車が一般道路を走れる世の中に戻って欲しいと思いますし、心にゆとりができればいいなと思います。