三浦春馬の命は救えなかったのか?遺書に記した悲痛の叫びとSOS

芸能

三浦春馬さんが亡くなってから、1ヶ月以上が経ちました。

 

三浦春馬さんのファンだけでなく、日本全国で、彼の不可解な死について憶測が飛び交っています。

 

・母親との絶縁説

・所属事務所の詰め込み労働説

・真面目さゆえの過労死説

・誹謗中傷説

 

などなど。

 

今となっては、なぜ自分の呼吸を止めなければならなかったのか、その答えを知る者は、三浦春馬さんただ一人となりました。

 

その三浦春馬さん自身も、もう存在しません。

 

三浦春馬さんはその場を明るくして和ませる、とても気遣いのできる好青年だったと、誰もが口を揃えていいます。

 

だからこそ、自分の悩みを打ち明けることができなかったのだと考えられます。

 

自分の中に渦巻く闇を吐露してしまえば、その相手をどれだけ悩ませてしまうのかとか、自分と同じような気持ちにさせてしまうかもしれないとか・・・気遣いができてしまうからこそ、口にすることが拒まれたのだと思います。

 

「僕、死にたいんだ」と相談したところで、既に一つの結論にたどり着いてしまっている三浦さんに、いまさらどんな言葉が響くというのでしょうか。

 

でも、だからといって、誰の手も届かないところへしか逃げることはできなかったというのも納得できません。

 

もっと違う逃げ方はできなかったのでしょうか。

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三浦春馬は八方塞がりだった

飛び交う情報の中に、そんなふうに思わせることが2つあります。

 

・母親との絶縁説

・所属事務所の詰め込み労働説

 

どちらか単体の悩みだったら、違った未来になっていたのかもしれませんね。

 

母親との絶縁説

三浦春馬さんが小学1年生の頃に両親が離婚し、母親が親権をとったことで父親とは生き別れとなりました。

 

三浦春馬さんが中学生上がる頃、母親は別の男性と再婚します。

 

三浦春馬さんはとてもお母さん思いで、成人後も収入の大半を仕送りしていました。

 

なのに、なぜ絶縁に?

 

そこには、肉親だからこそ許すことのできないことがあったのです。

 

三浦春馬さんが大切にしていた母親だからこそ許せなかったこと、それは、三浦さんが稼ぐお金に執着することでした。

 

だって、三浦春馬さんの母親の立場で考えてもみてください。

 

普通の一般的な人生を歩んでいれば、月の給料なんて、良くて30万円くらいでしょうか。それなのに自分の産んだ子供は、一般サラリーマンの年収ほどの金額を1ヶ月で稼いでくるのです。

 

仕送りだって、母親自身が1ヶ月必死に働いて得る金額よりも大きかったと思いますよ。

 

金銭感覚がおかしくなっても、不思議ではありません。

 

「結局、お金」

 

三浦春馬さんの友人が聞いた、三浦さんの静かな怒りの言葉です。

 

実は、三浦春馬さんの収入をあてにしていたのは、母親だけではなかったそうです。

 

継父も、生き別れていた実父も。

 

心のそこでは『芸能界をやめたい』と考えていた三浦春馬さん。

それを説得し、思いとどまらせた母親。

そこに群がる、3人の親。

 

せめて一人でも、お金のことを言わないでくれる親がいたなら、そこを拠り所にできたかもしれません。

 

三浦春馬さんの怒りは治まらず、地元の役所に出向いてまで籍を抜いたり、携帯電話の番号を変えたり、LINEを解約したりと様々な抵抗を試みたようです。

 

しかし、お金に目がくらんだ親には通用しませんでした。

 

やっぱり大切にしている親だからこそ、俳優・三浦春馬としてではなく、息子として愛してくれなかったのがショックだったのだと思います。

 

所属事務所の詰め込み労働説

とはいいつつも、めちゃくちゃ仕事をさせられているという意味ではありません。

 

途切れないスケジュールだった、という意味です。

 

どういうことかというと、コンスタントに仕事が入ってくるので、芸能界を辞めるにしてもタイミングがなかったのではないかと思われるのです。

 

三浦春馬さんの仕事に対する姿勢は、非常に誠実で前向きでした。

 

ドラマや舞台での役作りも適当に想像するのではなく、しっかり本を読みこんだり、それでも飲み込めなければ実際の現場に赴いて生の声を聞いたりと肌で感じ、自分が理解できるまで落とし込んだそうです。

 

『死にたい』

『死を考えている』

『どう死ぬべきか』

『死を考えているのに、嘘の笑顔を作るのが苦痛』

 

そんなふうに重たい思いを抱えながら役を作り、苦痛を感じながら自分を偽って、真面目に仕事に取り組むのって本当にツライかったと思います。

 

暗い顔なんて、できませんからね。

 

真面目で誠実な三浦春馬さんが、本来なら仕事を途中で投げ出すわけがないのですが、ついに許容範囲を超えて仕事を放棄してしまう悲しいできごとが起きてしまいます。

 

何をどのように考えてそのような行為に至ったのかはわかりませんが、その根本にあるものがお金ではないかと思えて仕方ありません。

 

三浦春馬さんの中では、こんなふうに渦巻いていたのではないでしょうか。

 

① 精神は限界を超えているが、仕事は待ってくれない

② もしここで全てを放棄してしまうと、契約違反金が発生する

③ 収入のほとんどを無心されているため、違約金を払うことができない

④ 仕事放棄ができないから、与えられた仕事はこなさなければならない

⑤ 現場で嘘の自分を演じなければならない

⑥ 苦痛を感じながら魂をすり減らし、精神は限界を超えている

 

母親だけでなく、継父・実父からもお金を無心されていたというのが本当だったとしたら、年収が5,500万円あったとはいえ、違約金を支払う蓄えはなかったのではないでしょうか。

 

つまり、今の仕事を投げ出して逃げることは不可能だったということです。

 

いえ、全ての仕事を放棄するのは簡単だったかもしれません。

 

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ですが、違約金という借金を背負うことで、親たちからは厳しく責められることでしょう。

 

言い方悪いかもしれませんが、金の亡者と化した親たちにしてみれば、芸能界を引退するなんて決して許されたことではなかったのでしょう。

 

違約金が発生しないように徐々に仕事をセーブしていく、といった余裕もないほど三浦春馬さんの精神は追い込まれていたと思われます。

 

終わりがない苦痛を断ち切るには、最終手段に踏み切るしか方法が思いつかなかったのでは?と推察されます。

 

三浦春馬の死への・・・

実際に亡くなっているのだから、本気で死を見つめていたのだと思われます。

 

・死について考えている

・死にたいと思っていたが、なぜか実父にあってみようと思った

・死にたいことを悟られないように笑っていることに苦痛を感じる

 

このようなことを書き記していたのも本当でしょう。

 

三浦春馬さんが亡くなったのは、9月から放送を開始する『おカネの切れ目が恋のはじまり』の撮影の最中でした。

 

このドラマで三浦春馬さんは、猿渡慶太というおもちゃ会社の御曹司を演じています。

 

猿渡慶太とは、金銭感覚が狂った能天気男子。

 

公式サイトの人物紹介にも

 

『悪意なく、別け隔てなく愛を注ぐので、人懐っこく甘え上手で人に愛される』

このように紹介されています。

 

いくら役とはいえ、作り笑いさえ苦痛になっていた三浦春馬さんにとっては耐え難いものだったのではないでしょうか。

気づきました?

 

このときの、答えを考える瞬間の目線を落とす三浦春馬さんの表情・・・全くキラキラを感じません。

 

ゾッとするほど暗く、落ちた表情になっています。

 

そのあとすぐに口角を上げて、俳優の『三浦春馬』を演じようとするのですが、またすぐに本当の自分が出てきて・・・っていうのを繰り返しています。

 

あと気になるのが、ずっと左方向に視線を送ることです。

 

この仕草は2020年に入ってから、よく見られるようになったように感じます。

 

目線を送った先はなにもないのでしょうが、三浦春馬さんにだけ、見えるものがあるように感じてなりません。

 

その『なにか』を考えたら・・・怖くありませんか?

 

三浦春馬さんがドラッグクイーンに挑戦したミュージカル『キンキーブーツ』でも、その兆候があったように思います。

 

キンキーブーツは2016年と2019年の2回公演されましたが、囲み取材でもローラを演じていても、三浦春馬さんの雰囲気が全く違っていました。

 

2016年の三浦春馬さんは、表情にも立ち姿勢にも力が満ちているし、パワーがみなぎっていますよね。

 

2019年になると、3年分の成長としてローラもいい意味で力が抜けて、セクシーで色っぽさが増したように見えます。

 

しかし両者で決定的に違うのが、三浦春馬さんの中に巣食っていた『死』への気持ちでした。

 

奇しくも死を考えることで、ミステリアスで美しい妖艶なローラが表現できています。

 

三浦春馬の命を守るためにできたこと

三浦春馬さんを、一度は芸能界から解放させてあげるべきだったと思います。

 

三浦春馬さんは20歳の頃、セリフを覚えられなくてかなり悩んでいたというのは有名な話ですよね。

 

悩んだ挙げ句、芸能界を引退して農業の方に進むために農業学校を探していたそうです。

 

あのとき、三浦春馬さんの思う未来に進んでいたら、命を落とすことはなかったでしょう。

 

でもそれを許さなかったのは、悩みを相談した相手であるお母さんでした。

 

「この家はどうなるのよ」と、散々説得されたといいます。

 

とあるトーク番組で三浦春馬さんは自身が描く未来予想図に、40か50歳くらいに「若者を育てる側に回って、のんびり農業をしている」というプランを発表していました。

 

どうしても農業をしたかったのがわかります。

 

三浦春馬さんは芝居でも定評があるし、真摯に役に向き合う姿勢も悪いわけではありませんでした。

 

なので、せめて『無期限の芸能界活動休止』として、命をつないでほしかったです。

 

役者としてでなくて、三浦春馬というひとりの人間として、ギリギリまで使い切ったパワーを回復する充電期間を与えるべきだったと思います。

 

ゆっくり農業しながら自然にふれ、今後の自分をみつめる時間が必要だったのです。

 

4歳で所属した児童劇団『アクターズスタジオつくば校』の当初の目的は、友達を作ることでしたよね。

 

その目的は達せられていました。

 

とても気の使える、周囲を楽しませることができる好青年に成長していました。

 

三浦春馬さんはお母さんの望み通り、誰とでも打ち解けられる力を身につけることができたのですから、あとは、本人の好きなようにさせるべきだったと思います。

 

三浦春馬の命は救えなかったのか?遺書に記した悲痛の叫びとSOSのまとめ

ドラマ・映画・舞台・CM・音楽活動と、コロナの影響をものともしないようなスケジュールでした。

 

しかし三浦春馬さんにとっては、苦痛のなにものでもなかったのですね。

 

本当に「なにも気づくことができなくてごめんなさい」としか、言いようがありません。

 

あんなに一生懸命に笑顔を取り繕っている姿が痛々しくて、胸が締め付けられる思いです。

 

今回の三浦春馬さんの死は、母親とか事務所とかを責めるものではなく、私たち一般人も『全ての芸能人が、必ずしも好き好んで芸能界を渡り歩いているのではない』ことを理解するキッカケになったと思います。

 

ちょっとした仕草や発言の変化などに気づいたら、『横着者』『何様のつもり』と誹謗中傷するのではなく、手を差し伸べる優しい気持ちをもってもらいたいと思いました。

 

きっとそれは、その人なりの『SOS』だと思うから。

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