ロック・バンド『黒猫チェルシー』として素敵な音楽を発信する傍ら、俳優としても多くのドラマや映画と言った作品に出演されている渡辺大知(わたなべだいち)さん。
特別「イケメン」というわけではありませんが、役者としての表現には人間味のある深い味わいを含んでおり、多くのファンを魅了しています。
その演技力はいかんなく発揮され、CMでも違和感が全くありませんね。
誰からも好かれそうな愛嬌のあるお芝居は、生まれながらに渡辺大知さんの中に備わっていた役者としての秘めたるパワーだったのでしょう。
今回は、多岐にわたって活躍している渡辺大知さんの父親のことや、高校時代・大学時代についてまとめました。
渡辺大知の父親が火野正平は嘘!
渡辺大知の基本情報
本 名/ 渡辺大知(わたなべだいち)
出身地/ 兵庫県神戸市
誕生日/ 1990年8月8日
血液型/ O型
身 長/ 179cm
体 重/ 60kg
職 業/ 歌手・俳優・監督
バンド名/ 黒猫チェルシー
担 当/ ヴォーカル
事務所/ ソニー・ミュージックアーティスト
渡辺大知さんを検索すると『父』や『火野正平』というワードがヒットします。
これは、火野正平さんが渡辺大知さんの父親ではないかとネットで噂になっていることにほかなりません。
特別似ているとも思えない二人ですが、なぜ「親子ではないか?」などと噂されているのでしょうか。
というのも、俳優・火野正平さんは元祖プレイボールとして有名な人物で、あちこちに隠し子がいるのではないかと言われているのです。
ここで、火野正平さんの女性遍歴を超特急で振り返っていきます。
火野正平さんの最初の結婚は22歳の1970年で、お相手はすでに同棲をしていた一般女性の方でした。
翌年には第一子となる長男を設け、その後は女児にも恵まれ一男一女を抱える一家の大黒柱となります。
が。
結婚からわずか二年で火野正平さんは離婚をしたのでした。
しかしここが不思議な話なのですが、実はこの二人、現在も『婚姻関係を続行中』だったのです。
当時の報道としては『離婚した』と報じられており、誰しもが最初の結婚相手とは離婚が成立していると疑っていなかったはずです。
が、40年以上も経った2016年、離婚届を提出していなかったことを電撃告白したのでした。
火野正平さんが自ら語っていますので、これは間違いない事実です。
現在でも籍を抜いていない女性を『西成の母ちゃん』と呼び、音信不通を貫いているそうですよ。
そんな火野正平さんは、1982年に出会った別の女性と現在も一緒に生活を共にしています。
この女性、かつては鳳蘭さんのマネージャーをしていた人で、火野正平さんは彼女のことを『俺の母ちゃん』と呼んでいるそうです。
要するに事実婚をしているわけで、内縁の妻との間にも娘を二人設けました。
しかしこの間にも火野正平さんは多くの女性と関係を持ち、女優・望月真理子さんとの間には娘さんも誕生しています。
以上のことを総合して、渡辺大知さん火野正平さんとの関係性を考えてみます。
現在もなお籍を入れている妻とは、火野正平さんが20代前半で結婚し子供を二人設けました。
現在、一緒に寝食を共にしている内縁の妻との間の子供を設けたのは30代前半のころです。
もし、渡辺大知さんが火野正平さんの息子と仮定するならば、火野正平さんが41歳の時に作った子供となる計算になりますよね。
籍のある妻とは3年しか生活を共にしていませんが、内縁の妻とは現在も寝食を共にしていて『俺の母ちゃん』と称していることからも、火野正平さんの中では内縁の妻で身を固めたと思われます。
いくらプレイボーイだからといっても、火野正平さんが41歳の時、わざわざ兵庫県で隠し子を作ったとはとても思えません。
ということで、渡辺大知さんと火野正平さんは、『赤の他人』という関係性にあると思われます。
渡辺大知さんの実父に関して詳しい情報が出ていないことからも、一般人であることは明らかですね。
渡辺大知の高校時代!音楽一色!
俳優・火野正平さんとは無関係だった渡辺大知さんですが、高校は地元である神戸市の兵庫県立神戸鈴蘭台高等学校に通われていました。
神戸鈴蘭台高等学校といえば55~57と、偏差値が平均よりやや高めの男女共学高校です。
渡辺大知さんは中学生の時代には既にギターを手にしており、高校に入学するとギター部に入部してどんどん音楽にのめり込んでいったそうです。
体育の授業中、野球で打席待ちをしている間にも音楽の話で盛り上がり止まらなくなる程だったと言いますから、相当なのめり込み様ですよね。
そして一年生の終わりの2007年には、現在に繋がっている黒猫チェルシーを結成したのでした。
黒猫チェルシーは神戸市内のライブハウスなどでバンド活動を行い、その頃から高い評価を得ていたそうですよ。
当時を振り返る渡辺大知さんは、インタビューでこのように答えています。
『バンドを組むのは自分の中では大事件で、革命が起こったようだった』
高校を卒業すると、渡辺大知さん(黒猫チェルシー)は東京へ進出!
2009年、黒猫チェルシーはファーストアルバム『黒猫チェルシー』をリリースすると大ヒット。
そしてその勢いが後押しするかのごとく、渡辺大知さんは映画『色即ぜねれいしょん』のオーディションを受けると、2000人の参加者の中から主役を見事に摘み取ったのです。
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この作品に出演したことで渡辺大知さんは、日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞しました!
素晴らしいです!
渡辺大知の大学時代!映画で監督も!
黒猫チェルシー東京進出を決めたと同時に、渡辺大知さんは東京の大学に進学しました。
渡辺大知さんが通ったのは、東京造形大学造形部・デザイン学科映画専攻です。
実はこの大学、実技試験が難しいことでも有名な私立の美術大学なんですよね。
この大学の卒業制作で作った映像作品『モーターズ』が、2014年にPFFアワードで審査員特別賞を受賞すると2015年11月に全国公開されました。
この作品で渡辺大知さんは『監督・脚本・音楽・編集・出演』と、なんと5役を務めました。
「モーターズは、10代の時から一緒に映画を作ってきた仲間たちと制作しました。予算は低いですが、自分の好きな空気感をたっぷりと入れました。」
幼少期から映画作品を摂ることを夢に見ていたという渡辺大知さん。
『モーターズ』は、初めての監督作品とは思えないほど上出来な作品です!
渡辺大知さんのまとめ
音楽が好きで結成した『黒猫チェルシー』が、大人になっても同じメンバーでデビューしバンド活動を続けてられるなんて、素敵ですよね。
ロマンを感じます。
2018年10月16日に行ったライブを以て、黒猫チェルシーは活動休止期間に入っています。
『黒猫チェルシーのこの先、15年、20年を見据えた時に、メンバー各々が音楽家としてもっと成長する必要があると感じました』
今後の活動のために修行する期間を設け、「必ず戻ります」と、活動再開を約束してステージを降りました。
メンバーがそれぞれの道で、一回りも二回りも大きく成長して私たちの前に戻ってきてくれるが楽しみですね。
その間にも、テレビドラマや映画や舞台に出演する渡辺大知さんの、俳優としての活躍からは目が離せませんよ。
しっかり応援していきましょう!