2018年、西武ライオンズを優勝に導く立役者となった山川穂高(やまかわほたか)選手。
圧倒的なパワーを見せつけ、シーズンMVPとホームラン王獲得は誰もが頷く結果でしたね!
敵として打席に立つ山川穂高選手は怖い存在ですが、それ以上にあの笑顔に癒やされると言う人が多いのではないでしょうか。
試合真っ最中だというのに、一塁を護る山川穂高選手の元に敵チームのランナーが来ると二人して楽しそうに談笑している姿が本当に可愛らしいです。
「おーい!そこの二人ー!試合中ですよー(笑)」ってね。
いや、そんな事言ってると西武ライオンズファンの人に怒られてしまいますね・・・、失敬。
沖縄独特のほんわかオーラに包まれた山川穂高選手は、きっと他のチームを応援している人の中に『隠れ穂高ファン』みたいな人を作っていると思いますよ。
そこで今回は、他のチームを応援している人からも愛される山川穂高選手の知られざる魅力についてまとめました。
実は書道とピアノが一級品?!
野球とそれ以外にも、得意としていることがこんなにも?
知れば知るほど、噛めば噛むほど山川穂高選手を好きになってしまいますよ!
山川穂高の書道の腕前が激ヤバ一級品!
山川穂高の基本情報
名 前/ 山川穂高(やまかわほたか)
出身地/ 沖縄県那覇市
誕生日/ 1991年11月23日
血液型/ A型
身 長/ 176cm
体 重/ 108kg
投 打/ 右投右打
ポジション/ 一塁手・三塁手
山川穂高選手は身長も体重も人一倍あるので、その体格から放たれる見事なまでの美しいホームランを次々と叩き出すプロ野球選手にはもってこいの巨漢です。
しかしそのダイナミックな体格からは想像できない、繊細な特技を持っているのですがご存知でしょうか。
それは『書道』です。
個人的な勝手なイメージで申し訳ないのですが、スポーツ選手って読めなくはないけど中学生のような文字を書く人が多いと思いませんか?
「あー。ちょっと残念」ってなるところですが、山川穂高選手の字は力強く形が整っていました。
それもそのはず。
山川穂高選手は幼い頃から書道を習っていたのです。
書道を始めたキッカケは、保育園児の時に母親のすすめで習い始めるという有りがちなパターンです。
強制的に習わされていたので、最初は書道が嫌で嫌で仕方なかったと話す山川穂高選手。
因みに、誰かに強制的にやらされたというのはこの書道だけだったと言います。
山川穂高選手が「書道を辞めたい」と母親に漏らした時、「8段を取ったら辞めていいよ」と条件付きで許しが出たので、中学3年生に本当に獲ってしまったのです。
山川穂高選手としては辞めたい一身で書道に取り組んだのかも知れないのですが、それにしても本当に8段を獲ってしまうなんて・・・すごい努力だと思いませんか?
母親にしてみれば「字だけはキレイな方が良い」と言う思惑通りにことは運び、山川穂高選手もまた書道8段を獲ったから辞められた・・・これこそ正に『win-winな関係』ということなのでしょうね。
山川穂高選手の母親が息子の美文字に拘ったのは、きっと自分が学生時代に「もっとキレイな字が書けたら・・・」と恥ずかしい思いをしたのか、あるいは「きれいな字が書けて良かった・・・」と感謝した瞬間があったからに違いありません。
もちろんお母様の字もすごくキレイで、8段を取得した山川穂高選手が今でも足元にも及ばないと感じる程だそうですよ。
5歳から始めて中学3年生までの間に書道8段を取得!野球の練習で忙しかったはずなのに、書道も手を抜かない男・それが山川穂高選手なのです。
書道で培った集中力が、今や野球にも活かされているんですね。
山川穂高のピアノ演奏が激ヤバ一級品!
前章でも述べた通り、大きな体からは美しくも素晴らしいダイナミックなホームランを叩きつける豪快な男・山川穂高選手。
おれまた繊細な趣味を持っているようで。
それが『ピアノ』です。
ピアノは幼い頃から習っていたわけではなく、高校野球を引退してから大学に入るまでの半年間だけピアノ教室に通っただけだそうです。
純粋に「ピアノを習いたい!」と思っていたわけではなく、当時家族ぐるみで仲良くしていて同じマンションに住んでいたお姉さんがピアノの先生をしていたので、お喋り方々弾きに行っていたという感覚だそうです。
それでもですよ、最近まで甲子園を目指していた高校球児が音階も知らないでお喋り方々ピアノなんて弾けませんよね。
たった半年でそんな事ができるんだったら、プロ野球選手よりもプロのピアニストを目指したほうが絶対に良いに決まっています!
と思わせておいて実は、下積みみたいなのがありました。
山川穂高選手がピアノの面白さに気づいたのは、小学6年生の時だったと言います。
クラスメイトが美しいメロディーラインを弾いているのを見て興味が湧き、その子に教えてもらっては鍵盤ハーモニカで練習をしていたそうです。
学校ではピアノで、自宅に帰ったからは鍵盤ハーモニカで練習する日々を送っていたら中学2年か3年の時に、合唱コンクールで伴奏することを提案されまでの腕をあげていました!
その時の曲の練習のために、母から電子ピアノを買ってもらって、今でも大切にさているそうです。
譜面が読めず、あくまで趣味の範囲で弾いているというピアノ。
音と指の動きだけでマスターし、自身の得意曲としているのが久石譲さんの『Summer』。
卒業式や結婚式などで使われる『カノン』だって聞かせます。
ほとんど独学でここまで弾けてしまうなんて、これも書道で培った集中力の賜物なのでしょうかね?
バッターボックスでバットを振り抜き、見事で豪快なホームランを打っている人とは思えない繊細さを感じます。
山川穂高の中学時代が熱い!バレーボールも?
山川穂高選手の中学時代はまだまだこんなものではありません。
現在、楽天のスカウトをしている大久保勝也さんが監督を務めていた『SOLA沖縄』に所属していた山川穂高選手。
SOLA沖縄では他の部活を掛け持つことを禁じられていたのですが、野球の練習がない火曜日から木曜日の3日間が暇だったので、仲良くしていた友人が所属するバレーボール部を覗いたそうです。
スパイクを打ってみたら即レギュラーとして採用されたんだそうです。
最初は本当に暇つぶしで始めたのですが徐々に楽しくなって、平日5日間の朝練と土日は野球の練習が終わってからの時間をバレーボールの練習に当てていたというから驚きです!
野球やって、書道8段取得して、合唱コンクールのピアノ伴奏して、バレーボールに打ち込んで・・・。一体どんな精神力なのでしょうか。まじでタフ。
肝心の野球も
もちろん野球が大本命ですから、一切手抜きなしですよ。
SOLA沖縄では監督を務めていた大久保勝也さんが厳しい指導を行っていたそうで、特に挨拶をはじめとする礼儀作法では45°のお辞儀が徹底されていました。
練習に使うスパイクやグローブはピッカピカに磨いていないと、裸足や素手で硬球をやらされていたそうです。
それが怖くて、山川穂高選手はいつもピカピカに磨き上げていたと言います。
本当に厳しい監督でしたが、しっかりと鍛え上げられたからこそ今の性格が確立されたんですね。
他にも
大食いだった山川穂高選手はいつも丼でご飯を11杯食べていて、当時から体重が90kgを有に超えていたのですが逆立ちが出来きます!
50mを6秒台で駆け抜けることが出来ます!
そしてそれは、体重が100kgを越えている今現在でも健在です!
バレーボール以外にもサッカーだってお手の物です!
山川穂高選手がここまでタフなのは、自分で自分の体をコントロール出来る身体能力の高さがあるからに違いありません。
山川穂高選手の中学時代は、ギュッと凝縮した濃い青春だったと思われます。
因みにスケートも!
スケートは小学1年生から4年生まで習っていました。
一週間に1回のペースで、スイスイ滑れてクルクル回ることが出来るまでになったと言いますから、ジャンプではなくスピンが出来るのだと思われます。
冬はフィギュアスケートが熱い時期となりますが、あの丸っこいフォルムの山川穂高選手がスケートリンクでスイスイスーイと滑っていたら本当に可愛いでしょうね。
選手っぽく4回転の技を繰り出されたら、可愛らしさにかっこよさが加わって今以上のファンがつくこと間違いなしですね。
山川穂高選手のまとめ
いかがですか?
山川穂高選手は、知れば知るほど、噛めば噛むほど魅力が溢れてくる人物だと思いませんか?
ずっと心の中では野球一筋だったと豪語する山川穂高選手。
趣味や特技のレベルがその域を越えて、キラキラしすぎて眩しすぎます!
入団の時に「ぜひ皆さん、アグーと呼んでください。(アグーとは)沖縄の高級黒豚です」とコメントしたおちゃめさん。
豚はさておいても、確かに高級です!
ホームランを放った時の、ゆりあんレトリィバァさんの『調子乗っちゃって』を披露も可愛いですよね。
自他ともに認めるゆりあんレトリィバァさんに似ていることからパフォーマンスするようになっていますが、山川穂高選手自身は全然調子になんか乗っていません。
※2019年からは、大相撲の御嶽海に似ていることから『どすこい』ポーズを披露するそうです。
山川穂高選手の好きな言葉に『勇往邁進(ゆうおうまいしん)』というのがあります。
意味は『目標や夢に向かって勇敢に進んでいく』!
これからも、山川穂高選手の活躍を見守り応援していきましょう!